ペンハリマブログ

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地域密着型百貨店「ダイシン」

2010.09.08日

 空前の消費不況。ほとんどの百貨店が売り上げを大幅に下げている中、繁盛を続ける百貨店がある。東京の大森にある「ダイシン百貨店」がそれだ。創業者は、長野県のりんご農家。「ダイシン」の由来は、“大きな信州”という意味があるという。
  
 
 この「ダイシン」高度経済成長時には年350億円もの収益をあげていたが、バブル崩壊以後の消費不況、100円ショップ・大型激安店などの進出などにより、100億円の借入金を抱え込み創業者は店を手放すことになった。
 

 これを引き継いだのが、設計事務所の西山敷さん。この店舗の設計を担当したことが縁で、経営建て直しを請われた。西山さんは、古い下町の百貨店「ダイシン」の根強い人気を背景に、『半径500m以内、シェア100%主義』をキャッチフレーズに掲げ地域密着型百貨店への脱皮を図った。
 

 開業以来「品数の多さ」が「ダイシン」の売りであったが、ずさんな在庫管理が経営を圧迫した。
在庫処分や店舗整理によって利益は隆盛期の3分の1に減ったが、数年で見事黒字経営に立て直した。


 この西山さんの発想がとにかくすごい。年間たった4個しか売れないという化粧品の「うぐいすの粉(ふん)」さえも店に置いている。お客さんの顔が見えるものは、数がなくても仕入れる。この考えが商売のベースにある。衣装品も40〜60歳代をターゲットにした豊富な品揃え。しかも一種類の服を一点しか置かない。どれを買っても一点もの。これは、他の人が同じものを着ていて不愉快な思いをさせないための配慮。従って50社以上の問屋と取引している。
 

 工夫はまだある。品出しを営業時間中にする。こうすればお客さんが直接店員に声かけしやすいと言うのだ。店員はみな商店街のような人間味あふれる接客を心がけている。一人暮らしのお年寄りのためにと、魚は切り身一枚でも売る。だからお客さんは毎日でも店に来る。今や「ダイシン」は地域の社交場になっている。バジャマで来れるような店・誰でも立ち寄れるような雰囲気、電気・ガス・水道のような地域のインフラ的存在でありたいと西山さんは語る。
 

 大森は坂の多い地域柄、お年寄りが買ったものを持ち帰るのも大変。そこで、高齢者向け無料宅配を行っており、500円の日替わり弁当1個でも無料で宅配するという徹底したサービスぶり。
また、食堂は昭和の雰囲気を漂わせたレトロな感じ。ラーメンが350円・ナポリタン380円とにかく安い。何を頼んでもボリユームたっぷりの大盛り。学生食堂並みでまさに庶民の味方だ。1000円握りしめていけば食べきれない。


 こんなことから地元の圧倒的な支持を受けている。地元の皆さんが「住んでよかった」と思っていただける商品やサービスを提供してゆき、小売業としてこの地に強い根を張ることだと熱く語る大森さんの経営する「ダイシン百貨店」は、同じ通りにあったイトウヨーカドーを撤退に追いやってしまったというから驚きだ。

               個別指導のEXCEED  塾長 細井俊彦

沖縄の夢かなう!興南高校、春夏連覇

2010.09.06日

「この勝利は沖縄のすべての県民の力で勝ち取った勝利です」興南高校の我如古盛次主将は優勝インタビューでそう答えた。打つたびにアルプスからの応援が響きわたり、それが大きな力になり、自信を持ってプレーできた。


我喜屋監督は「深紅の優勝旗を見て泣く人も、万歳する人も、カチャーシーを踊る人もいた。これだけ多くの人たちが待っていたんだなと実感した。この優勝旗は一人一人の栄冠です」と述べた。


我喜屋監督は68年夏、興南初のベスト4進出の時の主将だった。本土に復帰する前の当時はパスポートを手に船を乗り継いで甲子園入り、沖縄旋風を巻き起こした。しかし、準決勝で優勝校の興国に0‐14で大敗。内地との力の差を痛感して沖縄に帰った。


「ここまで来るのに42年もかかった。当時逃がした魚がようやく沖縄に戻ってきた」先人たちが何度となく挑み跳ね返された壁、その苦労に思いを巡らせながら半世紀の思いを込めて感慨深げに話された。


 
 それにしても史上6校目の春夏連覇を達成した興南高校は強かった。特に5−0とリードされた準決勝の報徳高校戦の逆転劇はまさに神がかりだった。興南高校には、逆境にあっても竹のようにはね返すしなやかさがあった。1点リードの9回ツーアウトランナー3塁。このしびれる場面で島袋投手は5球すべて140キロを越えるストレートで勝負し、打者を三振に打ち取った。


 興南野球部の部訓は「魂知和」(こんちわ)「魂をもって臨み、和をもって力となす」まさにこれを地でいったのが今夏の甲子園だった。

 
 エースの島袋投手は、夏の甲子園の決勝から逆算して、春の選抜優勝からの時間を過ごしてきた。ずっと夏の甲子園での連投を考えて練習スケジュールを組んだ。だから沖縄大会中も炎天下の中800球もの投げ込みを行い、小さな体にムチうってオーバーワークを課した。蒸し暑さ対策として雨合羽をユニフォームの下に着込むなどして周到な準備で甲子園に臨んだ。


 しかし、島袋投手は、夏の甲子園では、決して本調子ではなかったと思う。一回戦の鳴門(徳島)高校戦は、5回を投げて5安打を打たれ、四球も3つ。ストライクとボールがはっきりしていた。しかし、ランナーを出してから、粘り強い投球術がさえた。ピンチになると145キロのストレートを魂を込めて打者の膝元に投げた。


 準々決勝と準決勝では、序盤に連打を浴びて失点する場面もあったが、どちらの試合も味方打線が追いつき逆転すると、その後相手チームに1点も許さなかった。


 決勝の東海大相模戦では、本来のストレート中心の投球から、相手の裏をかいて変化球で攻めた。東海大相模の選手はそれまでの4試合で、打率3割6分を記録しており、強打のチームと言われた。しかし、これはほとんどがストレートを狙い打っての結果であり、特に左投手の変化球にはもろさをみせていた。

 
 これを見透かした捕手の山川選手は「東海大相模のチームは、まっすぐ一本待ちのような気がしました。足を上げてまっすぐのタイミングでリズムを取る感じだったので、真ん中付近でも、ストレートみたいな軌道でツーシームを低めに集めればゴロを打たせると思いました」と述べている。
島袋投手は三振を捨て、変化球を低め低めに集めゴロの山を築いた。結果、強打の東海大相模打線を1点に封じ、チームを優勝に導いた。


 春夏の連覇は相当プレッシャーになったに違いない。しかし、自分たちにしか味わえないプレッシャーだとプラスに考え、連覇を実現、新しい歴史を作った。君たちは沖縄の誇りだ。そして、高校球児の誇りでもある。甲子園で熱く燃え、たくさんの感動をいただいた興南高校の選手に惜しみない拍手を送りたい。
 

                個別指導のEXCEED 塾長 細井俊彦