ペンハリマブログ

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その一言が・・・

2009.10.17日

話その1、
 小、中学校などの授業でよく見かける光景に教科書を子どもに順に指名して読ませることがある。座席順に「次、次・・」と当てて少しずつ読ませるのである。

 
 和美ちゃんは小学校2年生。国語の教科書を読むことの順番が回ってきた。始めて読むところだったので、詰まりつまり読んだ。しばらくすると先生は「つぎッ」と言うなり小さな声ながら「話にならん!」と呟いた。
 和美ちゃんにははっきり聞こえたが何のことか、どういうことかわからず家へ帰るとお母さんに「お母さん、きょう本を読んだら先生は話にならん言うったけど、それどういうこと?」 母親にはその時の様子が手に取るように理解されたが、驚いた様子を見せず「それはな、和美ちゃんに先生ががんばれば本読みがもっと上手になるよ、ということなのよ」と話して聞かせた。

 
 「ああそういうことか・・」と和美ちゃんは、それから本読みが好きになり、本をよく読むようになったという話。
私は長い間教師をしていると同僚や先輩の先生、子どもからも親からもいろいろ教えられることが多かった。それは私にとって新鮮で、目新しいことばかりだった。和美ちゃんのこの話も先輩から聞いたことの一つである。教師というものはいつもあぶない橋を渡っていることを自覚して一言ひとこと十分に考えてものを言わないと、子どもにヤル気を持たせたり、反対に子どもの心を傷つけることもあるんだよ、と。

 
 和美ちゃんのお母さんは和美ちゃんの目の前で「何ということを言う先生や!」と怒らず、和美ちゃんの成長が期待でき、成長を助ける方のことばを選択したのである。
今の世の中、学校へ、先生へ抗議の電話をする親、中には学校へ抗議に行く親さえある。
子どもに対する一言が子どもを伸ばし、またダメにすることをいろいろ見てきた。
今回は私の印象に残る親や教師のとった言動を体験談として書くことにする。


話その2、
 ある時放課後、書店へ行って万引をして捕まった男の子がいた。私はその書店に行くとその子は奥の事務室でションボリしていた。「私の受け持ちの子が不始末を起こし申し訳ありません・・・」と深く謝って引き取り自宅へ連れて帰った。事情を話すと母親は「何でそんなことするんや!恥ずかしいことや、お母さんは明日から外にも出られへんわ」と嘆いた。
 
 そこへ仕事を終えた父親が帰ってきた。事情を聞くなり「先生、これのしたことは許されへんことです。このことの原因は私たち両親の責任でもあります。私たちの育て方が悪かったからこうなったんです」2月の寒い夜だった。「○○(子どもの名前)裏口へ来い!」というなり「二人が悪いんやから、二人で神様に謝ろう。お前も裸になれ!」というなり父親は上半身裸になり、勝手口を出ると、バケツに二杯の水を用意した。

 「お父さん、どないするねん?水かぶったら・・・そんなことしたらこの子が死んでしなう・・・」と母親。結局二人は冷たい水を同時にかぶることになる。頭から水をかぶった二人は抱き合って泣いた。私もこの時の情景は頭から離れない。
この後、この子は万引をしないばかりか勉強にも力を入れるようになったのは言うまでもない。親が本気にならないと子どもは立派に成長しないものだ。「師弟同行」(していどうぎょう)ということばがあるが、親も教師も高いところから子どもにものを言うのでは子どもは育たないものだ。仕事から帰って「疲れているから・・」「仕事でストレスが・・」など言うのは許されない理由だ。

 子どもを育てるということはそんなに簡単なことではない。「子どもは家庭で躾られ、学校で学び、地域で育つ」と言われる。子育ては家庭における躾からスタートすべきである。

話その3
 夏休みが終わって二学期が始まった。子どもたちは日焼けした顔と夏休み中のたくさんな思い出を持って登校してくる。△△君は夏休みに家族で奄美大島へ旅行したとか、海で採取したたくさんの貝の標本を持ってきた。夏休みの理科の自由研究だ。ところが標本は見事なのだが、貝の名前が書いてない。確かお父さんは大学で生物を教えていたはずだったので、私は△△君に「家でお父さんに教えてもらってきなさい」と、標本を持って帰らせた。その翌日、その子はやはり前日と同じように標本を持ってきたが名前は付けていなかった。「これお父さんが先生に・・・」と一通の手紙を持ってきた。それを読んでみると大体次のようなことが書いてあった。


 「大西先生、平素は子どもが大変お世話になっております。(以下略)私が貝の名前を教えたのでは子どものためにならないと思い、大西先生ならきっと図鑑で調べてくださってる・・・と言い聞かせておきました。別紙に名前を書きましたので、失礼とは思いますがどうか先生から教えてやってくださらないでしょうか。」という文面だった。私は恥ずかしい思いもしたが父親の言う通りにその子に教えた。その子は私が担当した理科の成績がぐんと向上したことが忘れられない。平素何となく過ごしている子どもとの会話の裏には子どもをヤル気にさせたり、反対にヤル気を無くす言動もあることを心しなくてはならない。


話その4
 ある校長に仕えたときの話。全校生400人くらいの学校だったろうか。その時の校長は定期考査、実力考査毎に各学年全生徒の成績を提出するように指示していた。その校長は全校の生徒の成績を完全に頭に入れておいて、トイレに行く時すれ違った生徒に声を掛けることがよく見られた。「君、今度数学すごく上がってたね・・」とか「○○さん、英語よくがんばっていたね・・」とか。全校生の名前を覚えているのはもちろん、一人ひとりの成績まできちんと頭に入れて子どもと接している姿に「えらい、これでこそ校長先生だ」と感心したものだ。校長先生に声を掛けてもらった生徒にとってこの上ない喜びのはずだ。それが自分の成績までも知っていて「褒められた」のだからきっと意欲も湧いてくるものだ。


 校長と言えば校長室でのんびり新聞など隅から隅まで目を通して、昼食時間を迎える人が多い中でこの先生は校長のなかの校長だと思ったものだ。
先日の佐用町での水害による被害で、女子高校生一人と小学生が亡くなった(まだ一人は見つかっていない)そのときの高校の校長は「担任の先生によると・・・」と言っておいて、進路志望とか、その生徒の人となりを記者会見で話していた。小学校の校長は全部自分が知っているような口ぶりで児童のことを話していた。


 私は前者のような高校の校長先生の方がより人間的な方だと思えてならない。校長だから何でも知っているとは限らない。担任に聞いて話しているに違いない。
人間はそれぞれみな異なる個性を持っている。「何がより人間的か・・」が問われる問題ではないだろうか。
教育に限らず、その人の一言が相手の人を伸ばしたり、ダメにしてしまったりするものだ。

 今の親たちは自分の子どもを叱ることがヘタであると同時に褒めることもヘタであるように思えてならない。大阪府寝屋川市のとある幼稚園。老園長は74歳。富士登山をさせたり、フルマラソンに挑戦させたり・・・。厳しく、暖かく教育している様子を昨日テレビで見た。どんなに厳しくても暖かみがあり、子どものことを本当に思う一言には子どもも親もついてくるものだ。


 褒め方、叱り方がよく分からない親たちもこのような園長先生に教育を依頼するような世の中だ。世の中が複雑化してより情報化してきていて、子育てが大変難しい社会であるが、その一言が子どもを成長させ、ダメにすることを肝に命じてもらいたい。
平成21年10月13日
               岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司