ペンハリマブログ

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不登校の子に出会いを・・

2009.09.18日

 私は中学校の教師を退いてから3年間、「不登校生指導カウンセラー」として公立中学校に勤務した経験がある。この間に学んだことがらは計り知れない。


子どもは一人ひとり異なった家庭環境の中より登校してくる。当たり前のことだが子どもの生活基盤はみんな異なっているということだ。家族構成から親の年齢、親の考え方、兄弟姉妹関係、祖父母の存在・・・など。100人子どもがいれば100通りの家庭環境がその子の背後にあるということだ。それらの子どもが同じ環境を有する学校へ登校してくるのだから、その子、その子の学校に適応する能力には当然差があって当たり前である。


「適応能力」といえば昔は子ども同士が互いに接しあい、磨き合うという環境の中で育ったものだ。年長者を頂点として縦社会が構成され、1歳でも年上の人に対しては絶対的に服従するものだった。


しかし、近ごろの社会では核家族化が進んで「一軒の家の中」という環境で生活する時間が大変多くなってきた。つまり親と子を中心とした生活スタイルである。
その結果、子どもは親と接する時間が多くなり友だちと過ごす時間は非常に少なくなる。

その上放課後には学習塾や習い事に通う時間が多くなり、学校から帰るとすぐに・・というような時間配分で、なかなか友だちとのつき合う時間がとれない。


 子どもは子ども同士接するうちに成長するのが自然のスタイルでやたらと大人が子どもの行動に口を挟むのは良くないことだと思っている。

もう一つの核家族、孤立化の表れは、地域社会における行事などへの参加である。子どもは家庭内で育つよりも、学校や地域社会で育つのがほんとうの姿であると思う。もちろん家庭教育の大切さは言うに及ばないことであるが・・。
例えば町内の清掃活動や子ども会の行事、お祭りなどへの参加など大切なものだと思う。


二学期も始まった。新型インフルエンザの不安は拭えないが、子どもたちは夏休みの思い出をいっぱい、日焼けした元気な顔が教室に満ちあふれる二学期だ。子どもたちは誇らしげに夏休み中の体験の数々を語り、教師はそのことばの端々にその成長ぶりを聞くときこそ教師冥利に尽きるものだ。


しかし、その一方で不登校生数が急に増加するのも二学期である。文科省の調査で小中学生の不登校生の数は微減しているというが、全体で0.02%の改善というから「改善した」とはいえない。今や全国で12万人の不登校生。二学級に3人ということだから大きな数字だ。


「学校が楽しい、面白いところ」「友だちと遊びたい」「早く学校へ行きたい」と子どもたちが思うような学校に変わることを教師は願う。「腕白でもいい、たくましく育ってほしい」というCMがあったが不登校生を抱える家庭にすれば、ほんとうに学校へ行ってほしいと願う。「泥んこになってもいい。友だちと明るく学校生活を楽しんでくれたら・」


 教師たちもこの9月が勝負時である。「教室の環境を変え、ゆったりと生徒と接する」「朝と下校時には笑顔タイムを」不登校問題の解決のキーワードは「出会い」を重要視すべきだという。学校へ行きづらい子どもたちには「真の出会い」 が必要だ。


 子どもが不登校になっても家族はあせらず「いつか必ず何とかなるさ!」というくらいのゆとりの気持ちを持って支えれば不登校は必ず乗り越えられると思う。


以前「母原病」ということばが使われたことがある。何も母親だけが原因の病気だということではなく、両親、祖父母など家族関係における家庭環境に起因する不登校をはじめとする子どもの心因性の病気のことである。病気でなくても例えばヤル気がない、とか、将来のことを考えない、親に甘えてばかり・・・など正常な発達ではない子どもの成長ぶりの総称である。当然ニートと言われる人たちも該当する。


「不登校」にはいるのは必ずその原因がある。その原因を掘り起こさないで、表面的にだけ子どもに登校を促したり、30分が何万円もする相談に行っても、私のこれまでの経験では問題は解決したことはない。


しかし、子どもを変える前に親を始めとする家族環境の点検を勧めたい。周りの人たちの心の問題なのだ。こんなことも見てきた。
親子で四国八十八カ所(寺)巡礼して多くの参加者との出会いで見事立ち直った子ども。英検に親子で挑戦して意欲を見せた子ども。「私も一緒に受検してみよう」という母親との出会い。そして合格。先ず周りの人たちの意識変革なくして子どもは変わらない。親(家族)の心が変われば子どもは必ず変わる。言い換えれば親や家族が本気になって変わらねば子どもは変わらないということだ。

不登校予備軍の誕生が危惧される二学期。まだ不登校生といわれない子どもにも親子の絆をしっかり形成することが何よりも大切なことだと思う。

平成21年9月8日
   岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司

 理想の教師像は

2009.09.14日

 誰でもみんな学校の先生に限らず、学習塾や習い事の「先生」と呼ばれる方にお世話になられ、そんな場における多くの「先生」の中で心に深く残り、人生によい意味で大きく影響を与えてくださった先生もたくさんおられると思います。
 心に深く残っている先生の共通点はどんな先生だったでしょうか。

 
 「教え方が上手・・」「知識が豊富である・・」「ユーモアがあって大変明る・・」「厳しいけど、暖かい・・」などいろいろあると思いますが、私も心に残り忘れられない立派な先生にたくさん出逢うことができた幸せ者です。多くの忘れられない、記憶に残る先生。やる気を起こさせ、生徒を思いも掛けなっかた分野にまで変えてしまうほどの先生。そんなすばらしい影響を与えてくださった先生たちの「共通点は何だろう」。このように「先生」というものを振り返ると私は「先生」とは単に知識を生徒に教え込むことだけではなく、「一人の人格者」「生徒と同じ目線で考えられる人」「先ず品格の備わった人」「心から尊敬できる人」であることが条件になるのだと思います。

 
 公立学校の先生の採用試験を見ることがありますが、まず一次試験のペーパー試験に合格すること。その後に行われる「面接試験」「模擬授業」・・どんなに試験官が立派な人であっても、その受験者の心の中まで見抜くことは至難の業だと思います。よく先生が問題を起こしマスコミに取りあげられていますが、問題を起こすような先生をチェックできないのが現実だと思います。壺井栄の小説「二十四の瞳」に出てくる大石先生のような先生は今の時代に求めるのは無理かも知れませんが、せめて採用試験の段階で問題の教師を排除できないものかといつも思います。

 
 先日も新聞、テレビで大きく取りあげられていた、教育大学で学ぶ先生の卵と言われる学生たちが集団で女子学生に暴行したとかいうことですが、教育大学の学生だからいけないことというのではなく、、どんな人間でも許される事案ではありません。しかし、ことが「教育の現場に参加する心構え」を持たなければならない学生が・・・。論外だと切って捨てたい気持ちです。「教師の卵?」とんでもないことです。昔から教師のことを「聖職」と呼んでいましたが、今ごろ「聖職」も死語になってしまいました。

 
 私が教職についた頃にはまだ「聖職観」はありました。ですから、「教師という職業は給料は安いけどそれなりのプライドを持て・・・」とよく先輩の先生に言われたものです。

 
 「学校の先生」「警察官」「公務員」・・に大変不祥事が多く報道されるのは、やはりこれらの職業は人々から大変注目の的であるということ。

 
 家庭教師と言えども・・。「この子を何とかしなければ・・・」「何とかしてあげたい・・・」という気持ちを失わないでもらいたいものです。学習塾は子どもの教育をしていても文部科学省の管轄ではなく経済産業省の監督下にあります。つまり「サービス業」なのですが、単に教育事業、教育を商売にする・・というのではないことを確認してください。

 
 先生といっても聖人君子ばかりであるはずはありません。ごく普通の人間であることの方があたりまえです。肩肘を張らず、ごく普通の人間であった方がより生徒と上手く波長が合うことになると思います。

 
 もし、生徒の質問に答えられなくても、そんな時「知らない」ということは恥ずかしいことではありません。心が通い合った生徒なら「先生にはわからない、でも次に来るときには調べておくからね」で十分通用するものです。知ったかぶりして間違ったことを教えるよりよほど生徒の心を捕らえて、信じられ前進することでしょう。

 
 両親やその子どもの思いをくみ取り、いかに希望に添うことができるか、その生徒の将来をどこまで真剣に考えられるかが先生として肝心だと思います。

 
 数年前のことですが、生徒が部活動で対外試合に出たとき、休日だったと思いますがその担任の先生がそっと試合を見に行かれたそうです。応援にです。

 
 こんなことを先生に強制するわけではないのですが、その子は真剣に先生と勉強に取り組むようになり、見事第一志望校に合格したことを思い出しました。

 
 先生方も、ご自分の過去の先生の中でいい思い出につながる先生のことを思い出して、どんな先生が本当の先生と呼べる人なのかをお考えください。

 そしてそのような先生に少しでも近づけるようにがんばってください。

     平成21年9月9日
                  岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司

あなたならどうする…

2009.09.04日

 なぜ、学習塾へ行かせるの? なぜ、家庭教師を付けるの?と言う質問に対して「学校の授業についていけないから・・」とか「学校の授業レベルでは私立中学校の受験には合格しないから・・」等という返事が返ってくるように思う。もっともなことだ。
受験(検)には希望した中、高、大学へどうしても入りたい、入れたいという親子(家庭)の望みとどうしても切り離せないものがある。


 入試には第一志望校へ一発合格するのに超したことはないが、入試は例え第一志望者が募集定員に満たなくても、必ず入れるという保証はどこにもない。
公立高校の場合などでは応募者が定員に満たない場合、受検生の全員を合格にすることはあるが・・・。入試には「合格」と「不合格」の両方があることをしっかり確認しておかねばならない。


 「不合格者が、定員200名でわずか10名だから・・まさか、その10人の中には入らないだろう」というような考えは甘い。例えばくじを20本作り、その中に赤い印のついたくじ(不合格)を1本入れておくとしよう。このくじを20人に引いてもらうと、確実に一人は赤いくじ(不合格)を引くことになる。まさか・・・自分がそのくじを引かないだろうと思うものだが。公立高校受検はこれくらいの危険性が潜んでいるものである。

(学校によりその割合は異なるのは当然だが)「うちの子は成績もいいし、担任の先生も多分行けると言ってくれているので大丈夫だろう」なんて考えはまったくダメだと思う。前述のように、受験(検)は危険がつきものだ。だからと言ってビクビクすることはないが、安心することはできないということだ。


 どんなに普段の成績が良くても、偏差値が良くても入試当日に体調を崩したりしてもいけないし、解答用紙にうっかり受験(検)番号を書き忘れた場合、どんなに解答が良くてもアウトである。つまり0点なのだ。


 私は現職当時(中学校)三年生を13回位受験させたが
(延べの生徒数で500人近いか?)この間いろいろなドラマが生まれたことを思い出す。
それは合格した子どもよりも、不合格を経験した子どものことだ。昔は不合格者を出さないように細心の注意を払い、ワンランク下の高校の受験を勧めたり、安全志向が強い時代でもあった。
 
 親と子どもとの三者懇談会の際でも「この子はこの高校くらい・・・」と担任の方から指導したほど無茶苦茶な時代も経験した。今の世の中では考えられないことだ。そうして決めた受験でも落ちることはいくらでもあった。しかし親(家庭)は担任に文句を言って来たことは一度もなかった。(親の腹の中までは計り知れないが・・)

 しかし、近ごろの進学指導では担任は進学志望校選択については情報(内申点など)の公開はいくらでもするが、受験校の決定については責任のない態度で終始する。
従って家庭(親子)においては高校進学についての情報をできるだけ早くから入手し、準備しておく必要がある。模擬テストに挑戦するのもその一つだ。オープンスクールに参加したり、インターネットで調べたり、学習塾で、担任との進学相談で・・・徹底的に詳細な情報を入手しておくべきだ。


 二学期が始まった。入試の準備に入るのはもう遅いくらいである。受験(検)する子どもの将来の進路は? 将来やりたい仕事は? 本人の適性は?など十分考慮すべきだ。
ただ学校の名前とか、評判など世間に流れるうわさには惑わされないことが肝心だ。
受験生がおられるご家庭の方には誠に失礼なことかも知れないが、受験に対する考え方では「第一志望校の合格」を願うのは100%あたりまえだのことだが、もし不合格のときは・・・というような不吉なことを予想される方は少ないと思う。       
私の経験では「子どもを生かすも殺すも親の考え方次第」ということだ。


 受験には「まさか・・」がいつでも付きまとうものである。それも「うちの子に限って・・」という形で。無事第一志望校に合格した子どもよりも、不合格を経験した子どもの方が大人になったときむしろいい方向に成長している例が少なくない。何も不合格を経験した方がいいなんて言っていない。その二つの方向の分かれ道は親(家族)の考え方次第で決まるということだ。


 第一志望校に無事合格しても親(家族)が「ヤレヤレ済んだ・・」と思うような家庭では入学後には限界がある。
そこで、いくら不合格になっても幸せをつかみ、社会に貢献するような大人になるための子育ての秘策を紹介しょう。入試日はまだ少し先だが、今からその時の準備をしておことだ今だったら皆さんに冷静なご判断をしていただけるものと信じて・・・。
 

@親に「第一志望校に合格してほしいですか?」と尋ねると、親は誰でも「そうだ…」と答える。この親の返答に対し「間違った答えだ」と言いたい。正しい答えは「どちらでもいい」だ。受かっても、落ちてもいいと思うことだ。


A親が悲しむ態度を見せてはいけない。本心から「よく頑張ったね」と言えるようにしたい


B人生に失敗など何ひとつない。そのことを親が自覚することだ。失敗と思えることが人生を豊かにするものだ。

C親が不合格を否定的に捉えてしまうと、子どもは自分自身を否定してしまう。親に必要なのは「好意的で冷静な態度」である。


D「受験とは成長することだ」。一つの目標に向かって親子が真剣に走ったという意味は大きい。子どものころ身についたものは人生の大きな力となる。
努力する大切さを知った意味は尊い


E「失敗」を家族全員で受け入れ「よく頑張ったね」と称え合えることで家族 の絆が深まり、かけがいのない財産になるはずだ。
 

 受験における不合格を「幸」の方へ持っていくか、「不幸」の方へ向かわせるか、この分かれ道はただ一つ、親(家族)の心の持ち方次第である。

 受験に失敗したとしても途方に暮れることなく、家族みんなが応援して人生の門出としてあげられる家庭を作ってほしいと思う。それと同時に受験に見事成功して第一志望校に合格したからと言って人生の成功とは限らない。要は入学する際の心の持ちようによってそれは決まるということだ。

 受験生をかかえておられるご家庭に受験での不合格のときの話を持ち出して失礼だと は思うが、
 やがて訪れる受験期には必ず心しなければならない大切なことなので・・・。
 平成21年9 月3 日
     岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司