ペンハリマブログ

ペンハリマブログ

都会と田舎、果たして…

2009.08.28日

 天候不順で梅雨明けが遅れて夏を迎えたが、夏らしい天気の日は数少なく、農作物の成育も心配されている。立秋も過ぎお盆が過ぎようやく夏らしい天気が戻ってきたようだ。
 
 子ども達の1学期は5月に流行した新型インフルエンザの休校でなんとなく一足早く夏休みが訪れたようだが、姫路市始め近辺の小、中学校では8月24日から2学期を開始する予定という。この暑さの中、休校した分を・・・。と日数あわせにならないだろうか。
保護者の方も一足早い二学期の訪れに戸惑いを感じているようだ。
「宿題ができていない・・・」と追い込みに懸命みたいなところがある。

 
 先日、とある用件で奈良県へ一泊の予定で行ってきた。奈良県と言ってもほとんど三重県との県境近くで、奈良市から2時間以上もかかる地である。交通信号は村で一つしかない僻地であった。山また山に囲まれた山間部の村の子ども達との交流が目的だ。
都会ではカンカン照りの猛暑の中、山間部では空気は澄み切り、姫路では光化学スモッグ注意報が発令されたのに、何と美しい冷風に恵まれた土地だと思った。


 まわりを緑一色に囲まれ、清流が流れ、夜ともなれば満天の星空。「こんなにたくさん星があったのか・・」と思うくらい美しい星空。そして寒さを感じるくらい気温も下がる。小学校、中学校は村に各1校しかなく、通学には都会では考えられないくらいの距離を歩いて通っている。30分、40分の徒歩通学は近い方で、一時間以上もかかる子どももたくさんあると聞いて驚いた。


 小学1年生の子どもも小さな背中にランドセルを背負い、上級生の助けを借りてがんばって通学してたくましく成長している。
特に山村部の子どもは人なつっこく、他の都市から来る人に接する機会が少ないせいかとても優しい子どもが多いように思った。土地の大人達もその集落全体が親戚のような付き合いをしていて、若いお母さんと年寄りのおばあさんとの会話でも「おねえさん」と呼んでいたのには驚いた。決して「おばあさん」とか「おばさん」とは言わないらしい。人情味が溢れた村落での人達も、兄弟、姉妹、親子、親戚同士のような付き合いらしい。地域の子どもは地域の大人みんなが育てるという形が出来上がり、隣り近所はみんな同じ家族であるという姿をみた。つまり教育の原点を目の当たりにした思いだった。


 この辺(姫路)では個々の家庭ごとに子育てが行われ、近所、隣の子どもは返って「ライバル」的な存在にしか見ない様子を見る。そこには競争原理だけが子育ての中心になってしまうようなこともある。このような田舎では「環境が人をつくる」ということが理解される。道路はある程度整備されているが、ほとんどが坂道で子どもにとっては足腰の鍛錬にもなり都会の子どもにはない強靱なものを持っているようだった。


 仲良くなった小学4年生の亮介君はその急な坂道を走って上がり下りして用事をしてくれた。帰るとき別れ際に「また来てくださいネ」ということばにその子ども達のこころの暖かさが感じられた。大人に、親に教えられたことばではない本当の心から出たものだ。その子どもがその村で育って10年くらいの間に蓄えられた心である。
そこからそこまででも親が車で送り届ける都会の子どもはそれが当たり前になっていたり、雨が降ったときも親が送っている光景を見るにつけほんとうに子どもにとって幸せなのはどちらなのだろうかとも思った。。


 コンビニも無ければ、スーパーも無い不便な地。自然に恵まれ、川に入り魚をつかみ、山に入ってうさぎを追い、酸素いっぱいの美しい空気を吸うことができる環境の中で育つ子らこそ、自立心が育つのではないかと思った


 問題は学習面のことだが、村には公民館があり、週2回くらいは勉強を教えてもらえるということだった。村の子どもは村の宝だということで、大人が子どもに教えるのは大人の勤めという考えだ。したがって弓道に優れた人が弓道を教えていることも知った。
今はどこへ行くのにも親が車で送っているが、大人になったとき今の子ども達は果たして自分で行動ができるのだろうかと疑いたくなる。


 親が高校通学を送り迎えしている家庭を知っているが、それが子どもの為になっているのだろうか。山村の子ども達のたくましさを見て、接したなかで考えさせられることが多かった。便利な都会と大変不便な山村生活とを比較したときほんとうに生活するのに便利なのはどちらだろうかと思った。「住めば都」と昔から言われているが・・・。


 曲がりくねった山道を帰路についたが私の頭の中には複雑な思いが交差していた。
帰ってくると、横一線に並んで黙ってゲームに夢中になっている小学生の姿がそこにあった。

平成21年8月27日
岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司