ペンハリマブログ

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適性の発見

2009.07.18日

 先日ふと次のようなことを思った。
 人間は生まれた時からみんな等しく「ある能力」というものを神様からいただいて誕生しているのではないか?と。

 
 身体的能力はもちろん、運動能力、知的活動能力は言うに及ばず、美しい心の持ち主とか、暖かい心の持ち主など倫理面にまで及ぶあらゆるものを一つにして「能力」と呼ぶことにした場合、みんな公平に「隠れた能力」として備わっているのではないかと思う。

 
 つまり、点数化した場合、等しくみんなの子どもには合計で同じ点数の「能力」というものが与えられているように思う。

 
 勉強がよくでき、テストの度に満点に限りなく近い点数を取る子どももいれば、運動会などでは足の速さにかけては他者には負けない能力を持っている子ども。
 弱い立場に置かれた子ども(友だち)に対し優しい心で接することができる子ども。我慢強い子ども(辛抱強い子ども)等、いくらでも「能力」と言われるものはある。

 
 先日も姫路城で大掃除(奉仕活動)が行われたが、そんな時、暑い日中、汗をふきふき清掃活動にがんばっている子どもをたくさん見たが、これも「奉仕活動」「忍耐」などという分野で優れた能力を持った子どもたちだ。

 
 こう考えると、人間には神様からいただいたすばらしいいろいろな能力がみんなに公平に与えられているように思えてならない。

 
 だから、よく言われる「うちの子は何の取り柄もない子どもだ」なんて存在しないと思う。ただ、折角神様から頂戴した「能力」も見つけ出すことをしなかったら、これらは永久に表に出てこない、隠れた能力になってしまうのだ。大変悲観的な話だ。

 
 絵を描くことにかけては群を抜いてすばらしい非凡な「能力」を持つ人、泳ぐのがうまい人、細かな工芸など指先の器用な人、音楽という分野では天才的な能力を有する人、など挙げればきりがないくらいたくさんの「能力」はある。

 
 しかし、この能力はなかなか見つけにくいもので簡単にはわからないところが困ったものである。

 
 その子の「能力」を見いだし「いい指導者」に指導してもらって、その上に各人の努力が重なれば一流と言えるような人材に育つものだ。

  
 「能力を見つけ出す」「育てる」この両者が車の両輪のように働いてこそ、ぐんぐん前進するものだと思う。幼児のころから何かをやらせてみる・・・。間口を広くしていろいろなことを経験させることにより、その中からいい芽(能力)が見つかることがあるかもしれない。

 
 植物(作物)を栽培するような場合に例えてみよう。「良い種子」があって、水とか温度という環境に恵まれて始めてよい芽が出てくるものだ。

 
 いくら「よい種子」(能力)を得たとしても、環境が整わないと発芽もしないし、当然生育もない。
 

 先日も私の通っているスポーツジムに乳幼児(生後10か月)が母親に連れられて水泳に来ていたのを見て驚いたが、何も水泳選手を目指さなくても水に慣れることはとてもいいことだと思った。

 

 石川遼選手を見て「ゴルフだ」といいイチロー選手を見て「野球だ」。福原愛選手をみて「卓球だ」と言うように短絡的な考えに走るのではなく、「鉄は熱いうちに打て・・・」の諺通り、いろいろな分野で子どもの経験を豊かにさせることにより「適性」というものに出会うことも多いと思う。このことが子どもの好きなことに繋がればこんな幸運なことはない。そしてそのことが一生続けことができればその子にとってこれ以上の幸なことはない。

 
 「みんなが高校へ行くから自分も・・・」ではなく「自分の適性探しの一環として」の高校進学ではどうだろうか。今はやりの「総合学科高校」などまさに高校三年間で自分の適性を探し、「何がしたいか」を探す高校進学になっているように思える。反対に「うちの子、姫路工業高校に進ませたいのですが、行けるでしょうか?」私「何科を志望されていますか?」「何科でもいいんです、合格したら・・・」こんなやりとりがよくある。何を目的に高校選びをするのか?

 
 そのように言っても、やはり高校間には学力の格差が厳然として存在している。県教委は「行ける高校選びから、行きたい高校選び・・・」を掲げるが、そんな簡単に高校選びができないのが現状だ。西高・東高・だめなら姫路高。それがダメなら・・・というような序列で高校選びだけは避けてもらいたい。「姫路工業高校のデザイン科」とか「高砂高校の特色選抜(看護医療類型)」など、狙いをしっかりした高校選びをしてほしい。「世界に一つだけの花」ではないが、「ナンバーワンよりオンリーワン」で進むことはどうだろうか。 平成21年7月16日
   岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司

新型インフルエンザの流行から学ぶ

2009.07.04日

 発生源も不明、伝染経路もはっきりしない新型インフルエンザの広がりが日本まで上陸し、関西を中心に300人以上の患者数になっている。特に兵庫県、大阪府、京都府、滋賀県と近畿一円で猛威をふるっている。

 
 兵庫県では5月18日に小、中、高校ともに休校措置をとることになり、それに伴って児童・生徒に自宅待機をするように指示した。

 
 その数は大阪、兵庫で140万人以上にのぼるという教育界ではかつてない状態になった。(5月21日現在)

 
 子どもたちは台風襲来などのときの休校ともなれば「ヤッター」と大変喜んで休校を受け入れていたものだが、今度の休校は一週間と長い期間になったのと、外出しないよう指導されたため多少は勝手が違ったものになったようだ。「早く友だちに会いたい」「早く学校に行きたい」これは保護者にとっても同じ思いであるようだ。特に共働きの家庭などでは小さな子どもに留守番させられないし、大変困られたようだ。

 
 高校生などは暇を持て余し、カラオケに行ったり、繁華街へ出かけたり、ゲームセンターへ出かけようとして補導されたり、その店から閉め出されたり、4〜5日間の休みとはいえ、大変時間を持て余しているようである。

 思いもよらず学校を休まなければならなくなった状態での子どもたちの行動には二つのパターンがあるようだ。

 
 その一は、朝は遅く起き、夕方まで何をするでもなくボーとテレビをみていたり、ゲームをしたり、友だちとのメールに夢中になって、一日に200件を超したという子どももあったようだ。

 
 その二は、図書館には行けないが、両親が共働きで昼間不在の家庭などで、静かになった家の中で、普段学校ではできていない遅れている勉強を取り返そうとしたり、家事を手伝ったり(こんな子の両親の指導がすばらしいと思う)して両親に大変感謝されたような子どもも目の当たりにした。

 
 この両者の行動パターンが単に勉強(学習)面に限らず人生そのものの行動パターンになっているのではないだろうかと思った。

 「自分で考えて行動する子ども」は自立心も育つし、将来に展望も大いに開けるものだ。両親からの相談でよく聞く言葉に「ヤル気を出させるにはどうすれば・・・」とか「勉強のコツを教えてやって・・・」「先生、どうか子どもにハッパをかけて・・・」「宿題をたくさん出して・・・」こんなことをよく耳にするが、本人が(子どもが)すぐにヤル気を出すような「特効薬」などどこにも存在しないものだ。

 
 音楽家の坂本龍一氏が朝日新聞に書いていたが、ある大学に招かれて講演をしたとき、終わりに大学生が「自分たちを元気づけてくれ・・・」と発言したそうだ。モチベーションをあげるためのことばを聞きたいということだ。坂本氏はこの時ばかりは頭に来て「甘ったれるな!!」と思わず怒鳴りつけたそうだ。
 なぜ自分で考え、自分でやらないのかと。情けなかったと書いていた。

 
 誰かの応援を得なければ、自分の背中を誰かに押してもらわないと一歩も前に進めない今の若者たちへの痛烈なことばである。

 ただそこで待っていたら、誰かが自分を見つけてくれて、行く先を示して背中を押してくれるなんて、おかしいことだ。自分のやりたい本当のところは自分にしかわからない。

 自分でしか探し出せないからこそ、その仕事は輝くのだと思う。世間から評価されたり、スポットライトを浴びたりするのは結果であって、それ以前に自分の努力や生き方があると思う。

 
 新型インフルエンザの蔓延で休校が一週間になったとしても、その間に自分を成長させる努力はいくらでもできる。ただ無意味に時間を過ごし、時間を持て余して遊びに出るようなことでは困ったものだ。

 
 約一週間、これだけ大規模な教育現場での自宅待機は空前のことだが、「そこまでも・・・」とか「過剰反応では・・・」などの声も聞かれたがウイルスが高校生を介して広がった事実や、感染後の潜伏期間を考慮すればやむを得ないことだと思う。

 
 基本的に外出が自粛となったため自宅での過ごし方が課題になったのだ。自宅学習を軸に規則正しい生活をすることや、両親の共働きの家庭などでは家事を分担することが健康維持にもつながり、家庭円満にもつながるということ。そのためには学校や保護者の適切な指導が欠かせない。

 
 思いがけない休校、休園だったが、インフルエンザの感染防止という課題について学ぶための生きた教材にほかならないし、自分を見つめ直すよい機会にしてほしいものだ。

     平成21年7月3日
                  岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司