ペンハリマブログ

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ある日高校生は・・・

2008.12.15日

 私は週2回テニスを楽しんでいる。年寄りの集まりで、あまり上手いとは言えないが、まあ楽しみにしている。

 
 2、3日前、市立のテニスコートの一面を使ってプレーしていたところへ、隣のコートに某進学名門高校のテニス部(男子20名ほど)が練習にやって来た。
 どうやら先輩と見られるコーチの指導で練習開始となった。その高校の教師らしい方も管理棟の中でボンヤリ時を過ごしていた。

 
 ところが練習が始まると同時にその高校生たちの打ったボールが私たちのプレーしているコートへボンボン転がってくるようになった。

 
 私たちはコートに入ってきたボールをその子たちのコートへ返すことが多くなり、プレーが時々中断した。それでも事態はまったく変わらなかった。ボールは放置されたまま。

 
 こんな場合(誤って隣のコートへボールを入れてしまうこと)は時々あることで、そんな時はボールを返してくれた方に対し「ありがとうございました」と言うか「すみません」を言うのが慣わしになっている。もちろんすぐにボールを拾いに行く。

 
 ところがその日の高校生は「ありがとう」も「すみません」とも言うどころか、ボールさえ拾いに来ないのだ。周りはたくさんのボールが転がった。私たちのコートにも。

 
 あまりの態度に、たまらず私たちのメンバーが誰言うともなしに、「なっていないな、マナーが・・・」と言う言葉が出だした。「私がコーチかキャプテンに言うわ」と言った。

 
 管理棟に居る人が先生らしく見られたので、「○○高校の先生ですか?」「ハイ、そうですが・・」「スポーツを心がける人は技術よりも先にマナーや礼儀を身に付けることの方が大事だと思うのですが、あれではひどすぎると思われませんか?」と話した。

 
 するとその先生(男性、40歳くらい)は「もう今の生徒は言うことを聞かないんですよ」「ほかにもたくさん苦情を聞くのですが、いくら言っても聞かないんですよ」ときた。まさに生徒の指導を投げてしまった感じだった。

 
 名門高校で、随一の大学進学実績を誇る高校にしてこれでは情けない話ではないかと思い、その先生といろいろ話しているうちに、こんな言葉が先生の口から出た。「今の親は○○高校に入れることに懸命になり、その他のことはあまり子育ての問題にしてないみたいです。○○高校に入れたら、いい大学へ進学させてくれる。要は躾よりも″勉強至上主義″の考えがほとんどの親御さんみたいで、私たちも困り果てているのです」「自転車通学のマナーでも二人並行して走ったり、飛び出したり乱暴な乗り方をしてたくさん苦情が来るのですがどうしようもないのです」という話。

 
 知的には最高レベルの高校に進学しても心が育っていない子どもが大人になった場合、日本の社会はどうなるんだろう。礼儀作法、マナーを大切にし、あいさつや「ありがとう」「すみません」がスムーズに口から出るような高校生は育たないものか。 ちなみに、よくコートを使用しに来る△△高校の生徒はいつもあいさつはできるし、マナーもきちんと守れている。やはりその高校が何に重点を置いて教育しているかが伺えるような気がする。

 
 このような高校生の親自身こんなマナーや礼儀のことを重要視しないのではないだろうか。「この親にして、この子あり・・」とはよく言ったものだと思う。

 
 そもそも小学、中学、高校という段階の学校教育の目的はなんだろうか。学習(ここでは勉強面としよう)はもちろんだが、その「知育」の他に「体育」や「徳育」という三領域を満遍なく習得することを理想とする。集団生活をする中で、他人との人間関係を円満に、集団の中で人と協調できる人を育てることが一番大切ではないだろうか

 
 個人主義、利己主義、知育至上主義や有名大学への入学者数があたかも学校教育の目的のように、学校教育の成功のように評価されてはいないだろうか。

 
 いい大学(ただ偏差値という物差しで)へ入るために小学生のときから進学塾へ通わせ、有名私立中学をねらい、そして小、中一貫校で6年間の教育課程を4〜5年で終え、あとの1〜2年を大学入試対策に当てる私立学校が多いと聞く。公立学校の教師の子弟でさえこの道を進ませようとするのをよく知っている。

 
 教科の学習成績を至上と考えて大学まで進んで社会に出て、社会でのリーダーになったとしても、日本の国はどんな道を進むのだろうか。

 
 こんな話を朝方散歩中に友だちに話したら、ある実業高校生と狭い道ですれ違ったとき、自転車を降りて道を開け、ゆずり、「気をつけて行ってくださいよ」と声をかけられたという。そのときの高校生は一人だけではなく、しばらくして来た高校生も同じ行動をとったという。「とてもうれしかった」と言ってい
 た。こんな高校生もいるのだが・・・。

 
 子どもを育てるとき、今は金はあるし、時間もある。従って子どもに金と時間をたっぷりかけ、「勉強だけは・・・」「進学する高校、大学だけを・・」念頭におくパターンが多いのは情けないと思う。格差社会が拡大し、金持ちと貧困の差がますます拡がっていく今日の社会。でも「何が一番大切か」をもう一度よく考えて「子育て」に励んでほしい。

     平成20年12月10日
                  岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司

志望校の選択は

2008.12.06日

 今年も残り少なくなってきた。慌ただしい年の瀬を迎えている。そんな中、中学三年生のいるご家庭では子どもの高校進学の志望校選びについてずいぶん悩んでおられることだろう。中三生は、12月中旬に中学校における担任との「三者懇談会」で、私立高校の志望校・公立高校推薦入試及び高等専門学校を希望する人はもう決めなければならない。後は公立高校の志望校決定(1月末)を控え、日夜いろいろな情報に翻弄されているのではないかと思う。

 高校志望校を決めるには五つの因子があると思う。
 @授業レベルや大学進学実績で
 A学校不適応懸念の少なさで
 B勉強面以外の充実で
 C制服やセンス、世間の評判で
 D子どもの学習成績レベルで

 

 その子の適性や将来やりたいこと、特技や好きなことなどを最重点に考慮して高校志望校を決めることは一番大切なことだが、昔から各高校間には学力レベルに大きな格差があり、いくら好きなことを教えてくれる(学べる)高校でも、そこの高校の学力レベルに達していなければ入れないのが実情だ。

 
 したがって、この方法は邪道ですが、子どもの学力に合わせて高校を選ぶ風潮になっている。好むと好まざるに限らず。「これこれの成績ではどこどこの高校・・・」というように決めている。「将来大人になったときこんな仕事がしたい・・・」「だから○○高校へ進学したい」というだけでは済まないのだ。

 
 近ごろの高校教育は「バイキング方式」とでも言うのか、普通科高校はもちろん、総合学科高校、専門教育を主とする高校の学科は数知れない。学区で受検を制限されない全県学区も多くなっている。受検の選択肢や機会はぐんぐん多くなりつつある。

 
 しかし、親というものは「世間の評判」に一番敏感に反応し「うわさ」のいい高校を選びたがる傾向にある。

 
 進学して毎日高校に通学して勉強するのは子ども自身であることを忘れたみたいである。

 
 兵庫県での高校入試方法はずいぶん変わってきた。
 @9教科のペーパーテストの合計点で合否判定をする。
 A「兵庫方式」といって「思考力テスト」と内申点で合否判定をする。
 (ほとんど内申点で)
 B5教科のテストと内申点(10段階相対評価)両方五分五分で合否判定をす
 る。
 C5教科のテストと内申点(5段階絶対評価)両方五分五分で合否判定をする。
 (現在の方法)

 
 @やAの方法で入試が行われていたときは、比較的に志望校が決められやすかったものだ。Bの場合でも評定が「相対評価」であったので子どもの学力がわかりやすかった。

 
 2002年度から導入された「絶対評価」では評価5や4が何人についているのか割合が教科担任の先生によってまちまちで、その価値がよくわからないのだ。

 
 入試は上位から順に取るのでそこには当然競争原理がある。ところが今はその順位が「よくわからない」のだ。従って家庭(親)としても志望校を絞る決め手がないのが現状だ。そこが県教委のねらいどころで、学校間にはっきりした格差をつけない、また格差がつけられない(親が)、ぼんやりしていて「よく
 わからない」方法をとっていて、はっきりした格差が表に出ない工夫をしている。以前は「偏差値」の数字で、高校を輪切りにして高校にランクをつけていた。特にこの辺の高校は「輪切り」ではなく「スライス」だといううわさをしていたが、いまだにその考えが抜けていないようだ。

 
 今頃こんな「どこどこの高校は偏差値でどれくらい・・」など言う方があればまったくダメだと思う。しかし、親御さんにすれば何か基準がほしいために、こんなことを言い出されるのだ。

 
 そこで、その中学校での過年度の進学実績を知ることで、「○○高校には何人はいっている」うちの子はその順位に入っているから行けそう。(何の順位かわからないのだが・・・)

 この考えもダメだ。いくら同じ中学でも、その年により成績がずいぶんちがうものだ。

 
 前年までの進学数で高校を希望するには間違っている。例えて言えば、姫路西高校へ8人、姫路東高校へ5人、行っているとしよう。すると「うちの子は12〜13番位にいるから、西高校か東高校には行けそう」という考えだ。だから、今は志望校選びが難しい。

 
 今の親御さんは本当にやりにくい志望校選びを強いられている。

 
 教科のテストの得点は分かっていて、内申点も教えてもらい・・・、あとは自分で(家庭で)判断するよりしかたがないのだ。こんなことなら、分かりやすい「推薦入試」でいこうかという生徒も多くなっている。私の近くの中学校では推薦で高校へ進む生徒が年ごとに増え、生徒の約半分にもなり、合格が決ま
 る2月中旬からは遊んでしまい授業妨害などで授業にならないと先生が嘆いている。

 
 本当に高校へ勉強をしにいくのなら、そんなノンキなことは言っておれないはずだ。

 
 高校へ行く目的がきっちりつかめていない結果こうなってしまうのだ。親御さんが本当に相談したいのは「学習塾」であり「家庭教師」になっている。
 高校間に学力の格差があることは事実として、「子どもが高校で何を学びたいのか」をしっかり押さえて志望校を選ぶこと。例え受検に失敗しても子どもがやりたいことを目指して受検すれば納得し、次の道(高校)でがんばると思う。
 入試は合格することは一番大切だが、不合格になったとき周りの人がどんな支えをしてあげるかが一番大切だ。
 
 どうか、大切なお子さんの将来につながる高校進学志望校選びを。どこに最重点をおいて選択校を決めるか、真剣に、一度立ち止まり考えてもらいたい。
 
 
 どうしてもいい考えが浮かばないときは、通塾している学習塾の先生に相談してもらいたい。しかし、学習塾の先生は、学校の担任の先生より「甘い」判断をする(子どもの評価を高く評価)のが通例だ。なぜかというと、塾の先生は、五教科の点数しか見ないからだ。それに比べ中学校の担任は、テスト以外の考える力(思考力)、表現力、興味、関心なども考慮して判断するからだ。どちらの言うことを信じたらいいか。こんなときどちらの言葉を採用するか難しいことだ。

 冷静に、子どもの将来、(ずーと先の将来)を考えてあげてもらいたと思う。
 高校進学志望校を決めるのは大変なことだと思う。

     平成20年11月28日
                  岡村ゼミナール教育顧問 大 西 豊 司

「車イスのサッカー監督」羽中田昌

2008.12.02日

羽中田昌43歳。彼は今年1月、サッカーの四国社会人リーグ・カマタマーレの監督となって、いきなりリーグ優勝を果たした。
  
  羽中田さんは高校時代、山梨県のサッカーの名門韮崎高校のエースストライカーで全国高校選手権でも活躍し、将来の日本を担うエース最有力候補と言われていた。しかし、大学進学を目指した浪人中、バイク事故で脊椎損傷を負い、下半身不随となってしまった。
その後約9年間山梨県庁に勤めるが、1993年のJリーグ開幕でかつての仲間やライバルが活躍する姿を見て触発され、「指導者としてのサッカー人生」を歩もうと、安定した県庁勤めを捨て、スペインに5年間サッカー留学した。
 
  「迷えば難しい方を選べばいいんじゃない」これは彼の妻の言葉。それが彼の生き方になった。つらい時はいつも傍らには妻が傍にいた。「彼女がいたからこそ今がある」彼のこの言葉が彼女の存在をよく表わしている。
留学から帰国後はサッカーコメンテイターとして活動。主に海外サッカーの解説をしながら、高校のコーチとして指導にあたっていた。
 彼は2006年9月、日本サッカー協会の・Sライセンスを取得した。もちろんこれは身障者としては史上初のできごとだった。Sライセンスは最も格の高いライセンスで、これを取得すればJリーグの監督はもちろんナショナルチームの監督もできるという資格だそうである。
  

そして、今年サッカーの四国社会人リーグ・カマタマーレ監督となって全勝でリーグ優勝を果たした。彼の座右の銘は「苦しいからこそ下を向かない」。試合にミスした選手は落ち込んで、次のプレーにも影響が及んでくるが、「試合にミスしたらもっと笑ってみろ」。彼は選手に苦しい時こそ笑え、笑えば気持ちも前向きになり、体もリラックスする。そうすれば本物の力が出てくると言う。
 

 ハンデイを抱えながら、夢をひたむきに追い続ける。すごいことだといえば簡単なことだが、健常者である我々には羽中田さんの苦難の道のすべて理解することはできない。私たちは恵まれすぎているがゆえに、恵まれているということを十分知り得ない。それゆえに、自分のおかれている幸福に埋もれることなく、多くのハンデイを抱えた人たちが力を発揮できるようなよりよき社会を作っていかなければならないと羽中田さんを見てつくづく思った。

        エクシード塾長  細井俊彦