ペンハリマブログ

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東北大震災のつめ跡

2011.12.28日

11月の日本教育者セミナーで仙台を訪れる機会があった。この時期に被災地東北でセミナーを開くとは不謹慎ではないかとの声もあったが、この時期だからこそ仙台に行こうという理事長の岡村寛三郎先生の強い意向もあり、仙台進学プラザでセミナーを開催させていただくことになった。


セミナーで第一講座では仙台進学プラザの阿部孝治先生の「震災から学んだこと」の講演を拝聴した。講演で阿部先生は、今回の震災で学んだことを3つ挙げられた。


一つは「学習塾の強さ」.
仙台進学プラザでは、震災からおよそ1か月後の4月12日に授業を再開した。生徒は震災からずっと学校に行かないだけに、いや行けないだけに余計「勉強したい」という気持ちが高まってきたという。成績のいい子はもちろん、悪い子でさえも。私は資料としていただいた「東日本大震災写真集」をはじめに見ただけに、あの津波に打ちのめされ、ごっちゃごちゃの教室、車やがれきがうず高く積まれた街角に1か月後塾が再開されるなんて想像さえできなかった。しかし、子どもたちは塾の再開を心待ちしていたというのだ。


二つ目は「売上げが全くなくなる」ということ。仙台進学プラザでは、1ヵ月およそ1億円の売り上げがある。それがある期間すべてなくなる。借り入れをしてでも最低3か月から半年分の現金を持っておくべきだとの指摘は現実味を帯びていた。


三つ目は「社員の生活支援」である。地震当初、社員とは全く連絡が取れず、動静がつかめなかった。しかし、メールは辛うじて通じたので、少しずつ連絡が取れはじめた。しかし問題は社員の生活保障。地震で収入は閉ざされたのに、社員には何とか生活ができるようにさせなければならない。当然多額の出費が強いられる。
仙台進学プラザでは、炊き出しをしておにぎりを塾生やその保護者に配った。驚かされたのはのはこの中、塾生の保護者に一律10万円を支給したことだった。幸い、義捐金・支援金が約1億円あり、これにあてたとか。


阿部先生の生々しい言葉に、思わず息をのみ込んで返す言葉が見つからなかった。


セミナーの最終日、浜沿いの被災地を見て回った。大震災から8カ月になるというのに、がれきはまだまだ取り除かれていない。海岸沿いの道路を通ると、悲惨な光景の連続。もとあったであろう田んぼの中に多くの車が残されたまま。被災した家屋が何の手入れもなくそのまま残されている。道路の左右のもと家屋があったであろう空き地には、漁船がひっくり返っていた。大型の漁船もある。それも無数に。いったい国は何をしているんだろう。


 最後に漁村を訪れた。日和山と呼ばれる小高い丘にあがって見渡せば、すべての家屋は無くなっており、きれいな更地と化していた。そこに平日だというのに視察という名の観光団のバスが5台もやって来た。観光客は神妙な顔をしているわりには、デジカメで写真を撮っている。いったい何を考えているんだろう。

私は、被災地に向かって手を合わせ、更地の中から見つけた茶碗の一片をジャケットのポケットにそっとしまいこんだ。これを持ち帰り被災された方々の供養しよう。そう思った。
            個別指導のEXCEED 塾長 細井俊彦
 

実りある授業研修

2011.10.25日

エクシードでは、学生の夏休み期間徹底して講師の授業研修を行った。研修対象は主に講師経験半年から2年までの講師。
 それはこの頃“慣れ”からくる惰性が生じてしまうからだ。慣れに安住すると、今の自分を維持することはできるが、進歩は得られない。進歩は絶えず変化の中だけに見いだせるものだからである。 
 

授業研修した講師には、以下の内容でリポートを書かせている。
    @ 研修内容
    A研修で感じたこと
    B次回から自分の授業で留意すべきこと
    Cエクシードの講師になって
 このリポートが実によく書けている。先輩の授業見て、その良さをきちんと把握できているし、先輩と比較して、自分に不足している点もよく掴んでいる。
 

 私は自分の甘さを思い知らされました。私は生徒ひとり一人に合った授業をしているつもりでしたが、“つもり”でいるだけで、自分にまだまだ甘いと思いました。今の自分に妥協せず、自分に厳しく、私にしかできない授業をして生徒に求められる講師になりたいと思います。


 エクシードの講師になって1年。この間、僕はコミュニケーション能力を磨くことができたように思います。生徒に対してただ機械的に教えるのでなく、一緒に取り組んでいくことによって、人と人とのつながりについて考えることができるようになりました。
 2年目には、生徒一人一人に工夫した授業ができるように、何がベストなのかを考えて実行できるようにしたいと思います。


 今改めて研修を終えてみると、私は「授業」が「作業」化してしまってつまらない講師になっているのではないかと感じました。研修で得られたことを元に活気ある授業づくりを目指しつつ、今後も先輩方のすばらしい点を吸収し、講師になった当初の新鮮な気持ちを忘れずに生徒とともに成長したいです。
 

 私は少し前までエクシードの生徒の一人で、その頃から活気あふれるエクシードの雰囲気が居心地よく好きでした。塾長をはじめ多くの講師の先生方に悩んだときは励ましていただいいたおかげで自習に来るのが楽しかったです。大学生になって講師という立場になりましたが、次は私が生徒の心を励ましてあげられるような講師になりたいと思います。
 そのためには、勉強に関する知識を身につけることはもちろん、一人の人間として勉強以外の様々な知識・視野・考え方を身につけられるよう何事にも積極的に取り組んでいきたいです。

 
 研修の目的はエクシードという”場”の人材育成にある。つまり講師としての職務遂行能力の進展を狙いとしている。しかし、講師の中に眠っている潜在能力の発掘も大事だ。
ただ単に講師をするのではなく、講師としてのスキルと能力を高め、講師として人間的な資質を磨き、生徒のため力をつくすことは大きな社会貢献であり、自分の成長ともなる。
 

 生徒のために自分を磨き強い人間になれ。彼らにそうエールを送りたい

   個別指導のEXCEED  塾長 細井俊彦 

なでしこジャパン世界の頂点へ

2011.09.01日

いやあー、久しぶりに興奮しました。ワールドカップ決勝戦のアメリカ戦。深夜から早朝にかけてテレビにくぎ付けだった。それにしても日本らしい勝ち方。過去何度挑んでもアメリカの壁は大きかった。
前半は押しに押されて防戦一方。何度ヒヤヒヤした場面があったことか。スコアの上では前半0対0だったが、2−0であってもおかしくはなかった。

 後半アメリカに先行されても弱気になることもなく、あきらめることなく、粘り強く攻め続けた日本チームはまさに「不屈のチーム」だった。


 まるで大男を思わせるアメリカ選手。それに立ち向かうバンビのような日本選手。体格差を運動量と組織力で対抗した、「柔よく剛を制す」とはまさにこのこと。


 延長戦後半12分、あと残り時間3分。またしても澤穂希選手。コーナーキックを合わせて魂の同点ゴール。運命のPK戦。 PK戦に入る前円陣を組んだ日本選手はみな笑顔、対してアメリカ選手の顔はこわばっていた。


 ゴールキーパーの海堀選手は3人のうち2人を止めた。特に最初のキッカーの強いボールを左足一本で枠外に弾き飛ばした執念はすさまじかった
日本チームで勝利を決めるキックをしたのは20歳の熊谷選手。相当なプレッシャーだったと思う。しかし臆することなく本大会随一の名ゴールキーパーソロ選手の立ちはだかる壁を突き破った、勝利の瞬間、熊谷選手はだれよりも早くゴールキーパー海堀選手と抱き合っていたのが印象的だった。 
 

 佐々木監督の手腕と統率力もすばらしかった。テレビ画面では眉間にしわを寄せて厳しい表情がアップされていたが、PK戦を前に円陣の中では笑顔が見られた。これは澤選手が「一番最後に蹴らせて。PKが苦手なので。」と言った。するとみんなが「澤さんずるい」と言って笑いが出たという。
優勝インタビューでは、なでしこの選手たちを「ちっちゃな娘たち」と形容しているところに人柄が表われていた。


 「夢は見るものでなく、実現させるもの」まさにその通り。過去一度もメダルを手にしたことない日本チームが世界一になった。
宮間選手の「120分間やってギリギリに追いついた。優勝はうれしいけれど、アメリカ相手に90分で勝てるチームにならないと」という言葉にはしゃいだ様子はなく、先を見つめる意思の強さを見た。


 なでしこジャパン優勝おめでとう。世界一にふさわしい素晴らしいチームだった。そして決勝はアメリカオバマ大統領が言うとおり、未曽有の試練に立ち向かう日本にふさわしい試合だった。

 なでしこの花言葉は「大胆・勇敢」ワールドカップを制覇したなでしこジャパンにぴったし。MVPに選出され、得点王になった澤選手。穂希(ほまれ)の名のごとく、あなたは私たち日本の誉れだ。
 
 大震災で意気消沈している日本に、淡いピンクの希望の花が咲いた。
             個別指導のEXCEED  塾長 細井俊彦

被災地の子供たちに学用品を!

2011.05.10日

 東北の大震災から2カ月になろうとしている。この2カ月は塾業界に携わる私たちにとって「有効で確かな支援の方法」は何だろうかと考えさせられる2カ月でもあった。
 

 塾ではおよそ15万円の義援金が集まった。これは、塾に設置した義援金箱、それと塾の講師の協力によるものだった。特に講師は休日の研修費のすべてを拠出してくれた。驚いたのは、研修会に出席できなかった講師さえもが現金を持ってきてくれたことである。


 さて、集まった義援金だが、塾だからできることをしたい。とすると、やるべきことは何なのだろうか。そう考えていた矢先、ある塾の先生から感動的な話を聞いた。この塾の先生も我々と同じように、塾として何かできないだろうかと考えた末、「被災地の生徒にノートを贈ろう」と決心した。

 
 決心するやすぐに行動に出た。保護者や塾生に呼びかけ3.000冊のノートを集めた。そして、それを被災地まで直接もって行くことにした。ノートはダンボールでおよそ10箱。車への重量負担を考えてとりあえず2.000冊を積み込んだ。


 午後11時に姫路を出発し、福島に着いたのは午後2時。ある避難所に行くと、「ノートは足りている」とのこと。何カ所かの避難所を回っているうちにいろいろなことが見えてきた。まず、足りているもの・不足しているものが避難所によって違うこと。救援物資は十分届いているのに、分配を担当する人が少ないため倉庫に山積にされていることもある。現地情報を十分確認して行けば、もっと効率的に配布できたかもしれない。が、いてもたってもおられずとりあえずノートを持って駆け付けたその先生の姿勢には頭の下がる思いである。


 「必要なものを、必要な人へ」、岩手県遠野市には、物流拠点になっていることから、被災者が欲しいものを自由に持ち帰ることができる“無料スーパー”がある。支援物資と被災者にはズレがあった。震災当初不足していた水・粉ミルクなどは充足し、今は野菜や砂糖、調味料が不足しているという。その点から考えれば、それぞれのニーズに応えることができる画期的な試みといえる。何とこのスーパーにはこいのぼりやふとんさえもあるという。


 全国から被災地の子供たちへ、いろいろな形で救いの手が差しのべられている。ある印刷会社は、余り紙で制作したノートを宮城県に、甲南大学では約7000冊のオリジナル大学ノートを宮城県。岩手県に送った。ランドセルのある大手メーカーも集めた3000個の中古のランドセルを直し被災地に送った。


 私たちは被災地の子供たちに学用品を贈ることにした。子どもは国の礎。子供たちに笑顔を取り戻してもらうためにも共に助け合う精神「共助」を大切にして、塾だからこそできることをこれからも続けてゆきたい。


 私たちの所属する播磨民間教育ネットワークでも、遅まきながら支援プロジェクトを立ちあげ、東北の子供たちのために力を尽くしたいと考えている。

個別指導のEXCEED   塾長  細井俊彦

がんばれ日本!がんばれ東北!

2011.04.08日

 津波といえば、海岸沿いの人々が警戒するものという浅い考えがあった。かってスマトラ沖の大津波を見るにつけ、ああこれはインドネシアに起こったもので、日本ではあり得ない。そういった浅はかな思い込みもあった。
  
 三陸沖を襲ったマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震は想像を絶するものであった。どす黒い津波に流される民家や自動車はなすすべもなく、人の命がいかに簡単に奪われるものかを思い知らされた。
 
 リアス海岸で深く入り込んだ入り江が多いため、津波の被害をより一層増幅させてしまった。今は瓦礫と化した我が家を呆然と見つめて、行方不明の家族を探している被災者の方々の胸の内を慮ると心が痛む。


 それにしても日本のマスコミの地震報道のしかたには怒りが込み上げてくる。行方不明の母を探して「お母さん」と叫んでいる少女の姿をテレビ画面に映し出している。また、焦燥しきった被災者にインタビューのマイクをつきつけている。被災者の方の心情を察するとそんなことはできないはずだし、決してしてはならないことだ。


 地震のニュースを見るたびに死者、行方不明者がどんどん増えていく。何もできない無力な自分に腹がたつ。今はひたすら祈るしかない。行方不明の方々が少しでも早く発見されることを。
しかし、危険時間といわれる72時間も、はや過ぎてしまった。はがゆい。くやしい。


 世界中から被災した方々へ多くの援助の手が差しのべられている。
中国は、「日本国民が混乱せず、整然と震災に対応していることに感銘を受けた。地震の防災や救助の面における日本政府と国民の優れた面は、中国が見習う価値がある」と伝えている。


 イギリスのインディペンデント紙は、一面に国旗日の丸の下に、がんばれ日本・がんばれ東北と日本語で励ましの言葉を掲載し、「消えた街。1000人単位の死者。それでもこの国は反撃を始める」と題した記事で、国家規模の困難にもかかわらず、日本の心意気は健在であると伝えている。


 オバマ大統領は「日米両国の友情と同盟関係は揺るぎなく、日本の国民がこの悲劇を乗り越える上で、 立場をともにする決意は強まるのみだ」と語った。


 ニュージーランドのマカリー外相は、「クライストチャーチ市で悲劇が起き、援助を必要としている時に日本は私たちを支えてくれた。私たちの心は友人である日本国民とともにある」と述べている。心強い限りだ。こういった励ましがあるのも今まで日本が国際社会に大きく貢献してきたからこそだ。


 日本では、ソニーが3億円、電通が1億円など義援金を贈り、ユニクロや楽天の社長は10億円を提供した。官民一体となってこの国難を乗り越えなくてはならない。私たちもささやかだが、今こそ思いやりを形にしよう。世界に誇れる国民性を持つ日本。一致団結して試練を乗り越えよう。試練に耐えれば人は強く優しくなれる

 
犠牲者の方々に哀悼の意を表すると同時に、行方不明の方々の無事をひたすら祈りたい。

    個別指導のEXCEED   塾長  細井俊彦